~命は平等~
生きているとは、どのような事でしょうか?
この事は、しっかりと考えて生きた方が良いのです。なぜならば、「生きている」とは何かも知らずに生きる事は、自分が何者かも知らずに生きている、という事になるからです。それは知的な生き方ではありません。
そこで仏教では、「生きている私」と「亡くなったばかりの死体」とを比較して、「生きている」とはどのような事なのかを、論理的、科学的に発見します。
そうすると、次のような事が「生きている」と分かるのです。
呼吸する。心臓が動く。食べる。排泄する。話す。病気や怪我が治る。老化する。体温を維持する。身体を動かす。喜びや悲しみという感情がある。
ここで、魂がある、とか、オーラがあるなどは出てきませんね。それは科学的ではないので、仏教的では相手にしません。仏教は知的、論理的、科学的な思考を尊びます。
「生きている」とは、こうした「機能」です。この機能は、全ての生命に共通しているのです。
さらにこの機能を使って、生命は大体同じ様な事をやっています。
食べて、成長して、ケンカをして、学んで、結婚して、子供を生んで、育てて、老けて、死んでいくのです。
機能の上でも、生き方としても、「生命は平等」です。どちらが立派な訳でも劣っている訳でもありません。
肉体の中身をのぞいてみると、おぞましく、異臭のするものが生命です。そして生まれたからには、病気になって、年を取って、必ず死んで行く存在なのです。
焦って死ぬ必要もありません。死ぬ事を強烈に嫌がる必要もありません。生命である以上「死」は必ず訪れる事なのです。
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©2008 絵で見る六道輪廻と涅槃への道 - 釈尊に学ぶ 「今を生きる智慧」~寺子屋三宝庵~